1985年の寝台特急【北陸】【出羽】【はくつる】【ゆうづる】【あけぼの】(東京から北へ向かう列車)

 今回も前回に引き続き、1985年に運行されていた寝台特急についてまとめたいと思います。今回は1985年の寝台特急紹介の最後、東京から北へ向かう列車です。確認のためにまた路線図を載せておきます。

f:id:TripLab:20200531194152p:plain

 

 

 

1.上野から日本海側に向かう列車

f:id:TripLab:20200528091113p:plain

 最初は東京から大宮、そして上越線を通り、日本海側へ運転していた寝台特急を紹介します。

①北陸

EF64形電気機関車牽引の「北陸」 (2007年5月 高崎線 熊谷駅 - 行田駅間)
Sui-setz - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

  上野を21時50分に出発し、金沢へ向かう「北陸」は寝台専用では運行距離が最も短い寝台特急でした。1950年に登場しました。とは言っても元々運行されていた列車(東京ー大阪)に名前が与えられたものです。1950年当時は東京ー北陸間は夜行列車、北陸ー大阪間は昼行列車という運行形態でしたが、1956年に東京ー福井間の運転になりました。1959年には東京ー金沢間にさらに短縮されました。1999年には12両編成から8両編成に減車され2010年3月13日に廃止されました。

 この「北陸」は運行距離が短いことから高速バスとの競合関係に早くからなっていました。また運行距離が短いので、ゆっくり寝られないという意見もありました。そこで北陸は早い段階から寝台の個室化やシャワー室を設置するなど差別化を図ってきました。また1989年~1991年まではチェックアウトサービスというものを実施していました。それは金沢に6時33分に着いたのち、東金沢駅に引上げ、9時まで寝台を利用でき、さらに金沢駅まで戻るための普通列車も無料というものでした。しかし防犯上の理由からサービスは廃止されました。

②出羽

JRE-EF64-1000-LtdExp-Dewa.jpg
Cassiopeia sweet. - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

  続いて上野から秋田までを上越線経由で結んでいた出羽について紹介します。出羽は1960年に不定期準急列車として登場しました。寝台特急として登場したのは1982年11月のことです。それまで東北・陸羽西線経由であった出羽(秋田行)と上越羽越線経由であった鳥海(坂田行)を統合する形でした。鳥海については後日説明しますが、この時(1982年)に夜行列車としての鳥海は一度消滅したものの、1990年に復活しています。そして出羽は1993年12月1日にその鳥海に統合され消滅しました。寝台特急としての出羽は10年ほどの短い命でした。

 この上野ー秋田を結ぶ寝台特急は名前が色々できたり、統合・消滅を繰り返してややこしい遍歴をたどりますが、それに関しては「あけぼの」の部分で説明したいと思います。

 

2.上野から青森へ向かう列車

 次に青森へ向かう列車を紹介したいと思います。この当時はまだ青函トンネルが無かったので青森止まり、そして青函連絡船に乗り換えるという方法でした。上野から青森へは東北本線を通るルート、常磐東北本線を通るルート、東北本線奥羽本線を通るルートの3つがこの当時はありました。

2-1 東北・常磐線経由

f:id:TripLab:20200528091032p:plain

 まずは東北・常磐線系統の寝台特急について紹介します。東北本線のみを通る「はくつる」、上野ー仙台間は常磐線を経由する「ゆうづる」がありました。

はくつる

485系「はつかり」(左) 583系「はくつる」(右) 1994年 青森
Cassiopeia_sweet - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

 このはくつるは上野から東北本線のみで青森まで向かう列車です。なお赤字の3号は臨時列車です。はくつるは1964年に東北本線初の寝台特急としてデビューしました。その後臨時列車として増便されたときもありますが、基本的に1往復のまま運行されていました。そんなダイヤに変化があったのは1982年の東北新幹線暫定開業の時、1往復増便し、2往復になりました。1988年に青函トンネルが開通すると1往復減便されました。1993年に2往復体制に戻ったものの、その翌年には1便が臨時列車化されました。そして2002年10月に臨時列車は廃止、定期列車も東北新幹線が八戸まで開業した12月1日に廃止されました。利用者の減少もあったかもしれませんが、1つには新幹線に乗ってもらいたい、そしてもう1つは東北本線の一部が新幹線の開業と同時に第三セクターに移管されたことが廃止の理由だとされています。

ゆうづる

  つぎにゆうづるです。こちらは常磐線で仙台まで行き、そこから東北本線で青森まで向かいます。ゆうづるはくつるの登場から1年後の1965年に常磐線経由の寝台特急としてデビューしました。1968年には1往復増便、1969年にも1往復増便されました。1970年には4往復体制まで拡大しました。なぜゆうづるが増便されるのかというと、当時は上野ー宇都宮間ですでに中距離列車が多数運行されていたことに加え、奥羽本線経由の寝台列車も多く運行されていたため、ダイヤに余裕が無かったためと言われています。1972年には5往復、1975年には7往復になりました。当時は電車3往復、客車4往復でした。その後、季節列車になるなどしましたが、大きな変化は1982年の東北新幹線の暫定開業の時です。ゆうづるは2往復減便され、1982年、東北新幹線上野開業の時にはさらに2往復減便され3往復体制になりました。次に大きな変化が訪れたのは1988年の青函トンネルの開通の時です。2往復減便され、1往復のみの運行になりました。1993年にはその列車も臨時列車化され、1994年に廃止されました。

2-2 奥羽本線経由

f:id:TripLab:20200528091003p:plain

あけぼの

EF651018 Akebono Kawaguchi 19910816.jpg
Japanese Wikipedia user Mgamp222, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

https://ja.wikipedia.org/wiki/あけぼの_(列車)#/media/ファイル:EF651018_Akebono_Kawaguchi_19910816.jpg

  奥羽本線経由で運行されていたのはあけぼのです。1985年当時は3往復(1往復は秋田発着)でした。上野と東北(青森)を結ぶ列車の歴史は古く、あけぼのの元となった列車は1908年に登場しました。当時は701列車、702列車という列車でした。あけぼのが誕生したのは1970年7月1日です。それから9月30日まで上野ー秋田間の臨時寝台特急でした。同年10月、定期夜行急行「おが」を格上げする形で、それにあけぼのの名前が与えられました。その時、運行区間が上野ー青森間になりました。1973年には上野ー秋田間でもう1往復増便しました。1983年には夜行急行「津軽」2往復のうち1往復をあけぼのにし、3往復体制になりました。しかし1988年の青函トンネル開業の際に秋田発着の1往復が廃止されました。あけぼの奥羽本線を経由して運行されていましたが、1990年に山形新幹線の改軌工事のために1往復を東北本線から陸羽東線を通って奥羽本線に入る形を取り、もう1往復は高崎線上越線信越本線羽越線を通って奥羽本線に入る形を取り、列車名を「鳥海」としました。このため、あけぼのは1往復のみの運転になりました。ちなみに、臨時のあけぼの東北本線から仙山線を通って、奥羽本線に入るようになりました。その後、陸羽東線のあけぼのがいつ廃止されたのかは不明ですが、1998年に上越線を経由して運行していた「鳥海」をあけぼのに変更しました。その後は新潟中越地震などもありましたが、1往復運転に加え、2012年には583系を使った臨時列車が運行されるなどしました。しかし2014年3月14日の出発便をもって定期列車としては運行を終了しました。それでもその年のGW、夏休み、そして翌年の1月3、4日には臨時列車として運行されました。春以降は、客車の老朽化のため臨時列車も運行されることはありませんでした。

 なお。ご存知の方も多いかもしれませんが、あけぼので使われていた客車のうち4両は秋田県の小坂レールパークで動態保存されています。そしてそこに泊まることもできるのです。泊まれるのはA個室シングルデラックスとB個室ソロです。興味がある方は訪れてみてください。

 

 これで1985年の信大特急の紹介はおしまいです。3本の記事を読んでくださった方、ありがとうございました。

 

[前回の記事]

triplab.hatenablog.com

triplab.hatenablog.com